80年代広告論争から90年代を読む.4

混乱する個性概念

「他人指向型」社会における「自律型」個性

                           潟vランオメガ代表取締役社長 石井和郎

●フィルターとしての「四つの個性」

 これまで、80年代の大衆論論争を振り返り、それが市場のダブル・イメージ化を巡る論争であったこと、そしてそれが紛糾した原因として、そこでの個性概念の曖昧さが考えられることを見てきました。そのため前回は、現在の個性概念を明確化すべく個性を以下の四つに分類しました。
1.自分がより自分自身であろうとする人間によって表わされる、真の個性としての「自律型」個性
2.一般的、普遍的目標に向かってひたすら働き続ける人間の持つ、幼少期に親によってセットされてある「内 部指向型」個性
3.他人からの承認を目的とした自己の差異化による、社会的に交換される記号としての「他人指向型」個性
4.自己中心主義、奇人、変人といった「個性の堕落した形としての」個性
 以下、このように分類された個性概念をフィルターとしながら、先の論争を振り返ることによってその論議の食い違いや論理展開上のねじれを明らかにしていきたいと思います。

●『新「階層消費」の時代』における個性化

 小沢雅子氏(現、東京工業大学助教授)は10月号で記したように、著書『新「階層消費」の時代』(85年7月 日本経済新聞社)において、消費者の個性化が市場の多様化をもたらしたとする考え方を否定しています。そしてその理由として消費者のグループ化をあげ、さらに「自分自身が下す評価よりも、他人が下す評価によって満足感が左右される。つまり、他人志向が強いわけである」として消費者の相対的な価値観と他人志向をあげています。
 個性化を否定する理由とされた消費者の傾向は、いずれも「他人指向型」個性の属性です。そして「個性」をそれと対立するものとするこのような考え方は、伝統的個人主義にもとずくものであり、小沢氏に限らず今日なお個性に対するごく一般的な考え方となっています。しかし「他人指向型」と無縁な、価値観やライフスタイルの不変性を特徴とする個性とは、実は現在の社会では現実性を持たなくなった「内部指向型」個性に他なりません。それにもかかわらずなお個性が右のような考え方で捉えられると、眼前にある現実の個性化が、いわば見ても見えないという状態に陥るのです。
 小沢氏は上掲書の中で、1979年の総理府統計局の資料を因子分析にかけた結果、消費の高級化に影響を及ぼしているのが金融資産の大小だったとしています。そしてそのことが「『個性化』実は『グループ化』とは、何のことはない消費者の階層分化だ、ということになる。」(同書)という小沢氏の主張を裏付けているとしています。
 その際に「住宅・交際・ファッション」において金融資産の影響が大きく、「自動車・楽器・スポーツ用品・オーディオ・教育・医療」ではあまり関係がないとしているのですが、注意したいのは小沢氏によって金融資産の影響が大きいとされた前者の「住宅・交際・ファッション」が、いずれも70年代以降、消費者をより個性的に演出することをコア・プロダクトとして、脚光を浴び始めた商品だということです。
 柏木博氏(当時、東京造形大学助教授)は、『デザインの戦略-欲望はつくられる』(87年8月 講談社)の中で、「ニューファミリー」および「ライフスタイル」という言葉の流行した頃から商品がトータルな生活イメージとともに売られるようになった、として次のように述べています。
「ともあれ『朝日新聞』の記事にあるとおり、1970年代半ばごろから、ひとことで言えば、室内を、まるで『スナック風』(それだけとは限らないが)に・演出・し始める『家庭』が出てきたのである。『ワイン』という飲物が売れ出したのもちょうど、同じ頃のことであり『飲物』や『食べ物』までが・演出・するというのは、生活の場である家を、ちょうど舞台のように、とらえ始めたからに他ならない。」
 そして柏木氏は、そのように基本的な有用性に付加されたイメージで商品を選ぶようになった消費者は、広告で示されるさまざまなライフスタイルを受け入れつつその中であたかも観客を意識する主人公のように振舞うようになったとしています。
 柏木氏の描くこの消費者像は、まさに他人からの承認を求めて自己を差異化させながら企業の提案するいくつかのコードへと統合されていく「他人指向型」の姿そのものだといえます。
 ちなみに「交際」も、それを代表する商品の一つといえる結婚式がこのことを典型的に示しています。つまり日本の結婚式が今日のような豪華さを競うようになったのは、それが結婚を神仏のまえで誓ったり、人びとの祝福を受けたりする場という本来の姿を超え、「自分を華やかに演出したい」、「主人公になりたい」という右の個性化の欲求に応えてきたからだということです。
 小沢氏の明らかにした「住宅・交際・ファッション」における消費と金融資産の大小との相関は、それらの商品が差別化機能を持っていることを示しており、それはまたそのような商品にしか消費の対象としての意味を見出しえない右の個性化の欲求の存在を明示するものであります。
 つまり小沢氏の階層分化説自体は消費者の個性化を否定するものではなく、むしろそれを浮き彫りにするものだといえます。
 図1は「他人指向型」個性化-「内部指向型」個性化の軸に平等・不平等(=階層分化)の軸を交わらせたものです。矢印線の出発点は近代以前の自我の状態、すなわち伝統的社会のもとでいあんだそれが成立していない状態を示しています。矢印の部分が現在の状況であり、「他人指向型」個性化がピークに近づきつつあり、また社会的格差が若干広がりつつある状態を示しています。
 小沢氏の階層分化説は、矢印の先端の点がそれぞれの軸に投影された点を別個のものと考え、しかも過去の「内部指向型」個性を個性の基準にして現在の個性化を否定したのだといえます。

●スーパーヒットと個性化

 10月号で取り上げた『主役は「隠れ大衆」』と『「新大衆」の発見』における主眼は、市場における個性化の役割を小さく評価し、マス・マーケットの健在ぶりを示すことにありますが、そのための根拠として、α-7000やファミコンのヒットを上げたことには実は決定的な矛盾が含まれています。同じ『「新大衆」の発見』の中で牛窪一省氏(当時、株式会社リサーチ・アンド・ディベロプメント社長)が「革新的な技術は、それが人びとの自己実現の欲求と結びつくならば、象徴的な価値を持つのである。ファミリー・コンピューターもα-7000も、パーソナル・ワープロも、パブも、そのようにして大衆市場を開拓したのである。」と述べているように、それらは自律性の増大に対応した商品だといえます。すなわち「少衆」「分衆」論に反論する側は、いわば個性化を否定するのに「自律型」個性化というまぎれもない個性化をもってしたといえるのです。
 山崎正和氏は、『柔らかい個人主義の誕生』(84年5月 中央公論社)において、価値観の多様化し始めた現在、個人も、また個人の属する集団もその内部を複雑化させる必要があるとし、そのような時代に生きる個人に求められるのは「多様な他人に触れながら、多様化していく自己を統一する能力」としています。
 ファミコンやα-7000、あるいはディスニーランドやテレフォンカードは、この山崎氏の指摘が商品にもそのまま当てはめられるべきことを示しています。
 すなわち多様化した嗜好や欲求をその内部で統一し得た商品、いいかえれば「自律型」個性化に対応し得た商品が軒並みスーパーヒットになっているということです。そしてこのことが「自律型」個性化のあたかも津波のような圧倒的な勢いを示しているのは明らかです。
 ところが『主役は「隠れ大衆」』、『「新大衆」の発見』のいずれにおいても、上掲の牛窪一省氏の文章を除いてこのような個性化の勢いは直視されていません。むしろ「『個性派』を捨てさす口実を」(『主役は「隠れ大衆」』より)というように、それは目の敵にすらされているのです。
 個性化の規定に関して、『主役は「隠れ大衆」』では「人と同じ物を持つのはイヤだという志向」としてごく簡単になされているのみです。この部分における個性化は「他人志向型」個性化であろうと判断されるのですが、全体的な用いられ方は非常に曖昧だといえます。
 また『「新大衆」の発見』では、逆に上村忠氏(当時、東京放送調査局調査部長)がそれを非常に狭く限定して、「私の場合はカメラが好きですから、カメラについては分衆であってなるべく人の使わないようなカメラを買おうと思う。だからミノルタα-7000は当分買うまいと思っているわけです。」と述べているように、個性化はマニアックな志向と考えられています。このマニアックな志向をD・リースマンは「職人根性」と呼び、一方でそれが持っている「限界的特殊化」に終わる可能性を指摘しつつ、「職人的な技能を通じて、自律性を求める傾向」としています。上村氏にとっての個性化も「自律型」個性化と「他人志向型」個性化にまたがっており、いかにも今日的なのですが、そのように個性化を狭く高度なものに限定することで、ミノルタα-7000のヒットの背後にある「自律型」個性化の流れが無視されているのだといえます。
 このようにスーパーヒットそのものによってその背後にある「自律型」個性化が見えなくなるのも、小沢氏の『新「階層消費」の時代』について指摘した、個性を「他人志向」と対立させる考え方の根強さによるものと思われます。
 図2は先の図1をさらに「自律型」個性化の軸を交わらせたものです。矢印線はこの軸の回りをらせん状に回りつつ上昇しています。
 右にあげた、「自律型」個性化が見えないでいる状態は、この軸に気づかないでいる状態だといえます。
 これらのことは、『柔らかい個人主義の誕生』の主題がそうだったといえる、「他人志向型」社会における「自律型」個性化とは何なのか、あるいはいかにあるべきなのかが、広告やマーケティングにおいて明確に課題とされるべきことを意味します。
 ここまでは、「少衆」「分衆」論に反論する立場で用いられた「個性」を仕分けすることによって、この論争の紛糾の原因の一つが、その用いられ方の曖昧さにあったことを見てきました。しかしこの論争の再吟味においても最も問題とされるべきなのは、すでに述べたように、この論争の発端となった「少衆」「分衆」論自身の「個性」の用い方に他なりません。むしろ曖昧さが曖昧さを誘発していったと見るべきなのです。そこで次に『『分衆」の誕生』における自律性の扱われ方を吟味することでそこにどのような問題があったかを見ていきたいと思います。

●「自律型」個性化における正負の方向性

 『「分衆」の誕生』では、「分衆」について、「均質な大衆社会は、次第に崩壊し、個性的、多様的な価値観を尊ぶ個別的な集団が生まれつつあった。「分衆」の誕生である』と述べているように、それは、人びとの個性化、多様化に対応する概念として登場しました。
 このように個性化、多様化を特性とする「分衆」社会に関し、「エリートへの接近可能性」と「非エリートの操縦可能性」の弐軸で社会を類型化したコーンハウザーの図式をもとに、「もはや、人は容易に動かない。『操作されにくい分衆の時代』になったのである。」、「我々の言う大衆社会から分衆社会への転換は、まさに多元的社会へ向かうことを意味している。」として、その「分衆」社会が、民衆の操作のされにくさという点において、コーンハウザーの多元的社会と一致するとしています。また多元的社会の特性である自律性については「分衆の時代に対する自律的人間という図式は、極めて納得がいく。」としています。
 同書のこれらの個所だけを見ると、「分衆」を誕生させた要因とされる、人びとの個性化、多様化には、D・リースマンの類型に基づいた個性の分類で言えば、「自律型」個性化がそのまま当てはまるかのようです。ところが同書は、一方では「自律的という理性信仰が勝っていた時代の用語は、分衆たちには似合わない。もっと感性的な存在であることは、いうまでもない。」として、その自律性を否定をもしているのです。
 そして結局、「だが少なくとも、分衆は、大衆より自律的とまで行かなくても、『自立』的であることは確かである。」として「自立」的という言葉に「分衆」論の個性概念を集約させています。ただし、この言葉自体のこれ以上の説明はなされておらず、その意味は明確とはいえません。また自律性についても「自律的という理性信仰が勝っていた時代」という歴史概念的規定から、あの「内部志向型」との混同が推測され、したがってここでの「理性信仰」も「普遍的価値」に置き換えられるべきであろうと思います。しかしこのことも同書における自律性自体の捉え方が不明確なために明らかとはいえません。
 ただしはっきりしているのは、「分衆」は何がなんでも感性的存在であり、同時にアンチ理性的存在だという点です。これは先の図2で言えば「自律型」個性化の軸における正方向に対する逆行といえます。しかもこのことは「ホモ・クレアンス」によって自律性を正面からとらえたはずの『さよなら、大衆。』においてもまったく同じであり、この論争の最大の問題点がここにあったのだといえます。次回はこの「自律型」個性化の軸における正・負の方向性を明確にしつつ論争全体を整理していきたいと思います。

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